私の制作スタジオ
2007年 02月 18日
オリジンスタジオ orijin studio
☆転居のご報告☆
ヤマザキミノリの創作工房オリジンスタジオは2007年9月に伊勢崎の新工房へ引っ越しを致しました。現在、桐生の工房は12月よりあたらしいクリーエーターの入居が決まっています。尚、ヤマザキの通常の活動拠点は相模原の自宅兼事務所となります。
群馬県桐生市にある大正時代に建てらられたノコギリ屋根の織物工場です。かつて日本の外貨の稼ぎ頭だった絹織物産業、その遺構として市内にはいたるところにノコギリ屋根の工場があります。
1996年8月に桐生市工房推進協議会より、近代化遺産である織物工場の再利用者として推薦されヤマザキが利用させて頂いてきました。現在は、個人の工房として賃借利用をしています。 ※「桐生市の近代化遺産」桐生市の公式ページへ
[空き家の工房に造形作家が入居] 桐生市が開設
-1996年7月 朝日新聞 群馬版の紙面より転載
桐生市が産業振興への波及効果を期待して始めた創作工房はニカ所あるが、このうち一年間も空き家となっていた東久方町二丁目のノコギリ屋根の建物を、桐生市出身で神奈川県相模原市に住む造形作家の山崎捻さん、作家名ヤマザキミノリが制作の場として便うことが決まった。去年七月に彫刻家の掛井五郎さんが去って以来、火が消えたままだった工房が復活する。
[市、産業振興に期待]
伝統産業の織物業や機械金属業など、中小企業がデザインや企画の力量を高めるために間接的な支援をしようというのが桐生市の工房制度。廃業した工場や空き家を市が借り上げ、デザイナーや工芸家、建築家らに創作の場として無料で提供する。創作活動を企業の新製品開発の参考にしてもらい、産業振興につなげるねらいだ。
工房の第一号は梅田町一丁目の桐生織塾。一九九〇年三月に借り上げた木造の古い織物工場跡を、県繊維工業試験場に勤めていた塾長の武藤和夫さんが織物研究に使い始めた。いまも多くの技術者や研究者が染織や情報交換の拠点として出入りし、成果の発表・展示会を開いて織物業界に刺激を与えている。
山崎さんが今回使うことになったのは、やはり廃業した織物工場跡の第二号。独特のノコギリ屋根のある飲筋コンクリート造りで、九一年三月に開設、去年七月まで彫刻家の掛井五郎さんがアトリエにしていた。当時はプロンス彫刻が工房の外にあふれ、街角美術館の風情だったが、この一年は空き家のままだった。
市工房推進協議会に選ばれた山崎さんは桐生高校、東京芸大大学院の卒業。特殊な材料や布、光を便ったオブジェや、コンピューター・グラフィックスによるデザインなどを制作している。「今月中に工房を整備し、八月早々、できれば桐生八木節まつりに合わせて、市民に作品を披露する場を設けたい」と山崎さんはいっている。
桐生市工業労政課は工房の復活が決まってほっとしている。自薦、他薦の希望者は多いが、産業振興に役立つかどうかの見極めが難しいという。今後は創作工房を増やすことばかりでなく、建物所有者と使用希望者の間をとり持つことも含めて工房制度を考えていきたい、としている。
[第2号工房に1年ぶり灯]
-96年8月24日 朝日新聞 群馬版より転載-
地元出身 山崎稔さん入居
空き家となっていた桐生市東久方町二丁目の創作工房第二号に、今月から造形作家の山崎稔さん(作家名ヤマザキミノリ)が入居した。去る十日と十一日の夜には、ここで作った幻想的な作品を公開した。桐生八木節まつりのときのお披露目に続く公開。ノコギリ屋根の織物工場跡の工房第二号に一年ぶりに灯がともった。
山崎さんは桐生高校から東京芸大を卒業。現在は神奈川県相模原市に住んでいる。桐生市がデザイナーや工芸家に無料で提供する二つの創作工房の一つが空き家となっていたが、地場産業への波及効果が期待されるとして、山崎さんの入居が認められた。これまでにも故郷・桐生の布を作品によく使っているという。
公開した作品は、風に揺れる何本もの長い布に、ミラーボールの色光線が模様を描く運動体。絶えず音楽がなる中を、光を映し出すハーフミラーが取り巻き、工場跡の暗い工房に不思議な空間を作る。立ち寄った市民らはいすに座ったり、周囲を巡ったりしてメルヘンのような場を体験した。
各種イベントや建物の空間をデザインしている山崎さんは工房を「オリジン」と名付け、入り口に表札をつけた。大きな作品を中心とした制作活動の拠点として相模原から通う。年に1〜2回ほど工房を公開し、その時々の新作品を市民に見てもらうことにしている。
☆転居のご報告☆
ヤマザキミノリの創作工房オリジンスタジオは2007年9月に伊勢崎の新工房へ引っ越しを致しました。現在、桐生の工房は12月よりあたらしいクリーエーターの入居が決まっています。尚、ヤマザキの通常の活動拠点は相模原の自宅兼事務所となります。
群馬県桐生市にある大正時代に建てらられたノコギリ屋根の織物工場です。かつて日本の外貨の稼ぎ頭だった絹織物産業、その遺構として市内にはいたるところにノコギリ屋根の工場があります。
1996年8月に桐生市工房推進協議会より、近代化遺産である織物工場の再利用者として推薦されヤマザキが利用させて頂いてきました。現在は、個人の工房として賃借利用をしています。 ※「桐生市の近代化遺産」桐生市の公式ページへ
[空き家の工房に造形作家が入居] 桐生市が開設
-1996年7月 朝日新聞 群馬版の紙面より転載
桐生市が産業振興への波及効果を期待して始めた創作工房はニカ所あるが、このうち一年間も空き家となっていた東久方町二丁目のノコギリ屋根の建物を、桐生市出身で神奈川県相模原市に住む造形作家の山崎捻さん、作家名ヤマザキミノリが制作の場として便うことが決まった。去年七月に彫刻家の掛井五郎さんが去って以来、火が消えたままだった工房が復活する。
[市、産業振興に期待]
伝統産業の織物業や機械金属業など、中小企業がデザインや企画の力量を高めるために間接的な支援をしようというのが桐生市の工房制度。廃業した工場や空き家を市が借り上げ、デザイナーや工芸家、建築家らに創作の場として無料で提供する。創作活動を企業の新製品開発の参考にしてもらい、産業振興につなげるねらいだ。
工房の第一号は梅田町一丁目の桐生織塾。一九九〇年三月に借り上げた木造の古い織物工場跡を、県繊維工業試験場に勤めていた塾長の武藤和夫さんが織物研究に使い始めた。いまも多くの技術者や研究者が染織や情報交換の拠点として出入りし、成果の発表・展示会を開いて織物業界に刺激を与えている。
山崎さんが今回使うことになったのは、やはり廃業した織物工場跡の第二号。独特のノコギリ屋根のある飲筋コンクリート造りで、九一年三月に開設、去年七月まで彫刻家の掛井五郎さんがアトリエにしていた。当時はプロンス彫刻が工房の外にあふれ、街角美術館の風情だったが、この一年は空き家のままだった。
市工房推進協議会に選ばれた山崎さんは桐生高校、東京芸大大学院の卒業。特殊な材料や布、光を便ったオブジェや、コンピューター・グラフィックスによるデザインなどを制作している。「今月中に工房を整備し、八月早々、できれば桐生八木節まつりに合わせて、市民に作品を披露する場を設けたい」と山崎さんはいっている。
桐生市工業労政課は工房の復活が決まってほっとしている。自薦、他薦の希望者は多いが、産業振興に役立つかどうかの見極めが難しいという。今後は創作工房を増やすことばかりでなく、建物所有者と使用希望者の間をとり持つことも含めて工房制度を考えていきたい、としている。
[第2号工房に1年ぶり灯]
-96年8月24日 朝日新聞 群馬版より転載-
地元出身 山崎稔さん入居
空き家となっていた桐生市東久方町二丁目の創作工房第二号に、今月から造形作家の山崎稔さん(作家名ヤマザキミノリ)が入居した。去る十日と十一日の夜には、ここで作った幻想的な作品を公開した。桐生八木節まつりのときのお披露目に続く公開。ノコギリ屋根の織物工場跡の工房第二号に一年ぶりに灯がともった。
山崎さんは桐生高校から東京芸大を卒業。現在は神奈川県相模原市に住んでいる。桐生市がデザイナーや工芸家に無料で提供する二つの創作工房の一つが空き家となっていたが、地場産業への波及効果が期待されるとして、山崎さんの入居が認められた。これまでにも故郷・桐生の布を作品によく使っているという。
公開した作品は、風に揺れる何本もの長い布に、ミラーボールの色光線が模様を描く運動体。絶えず音楽がなる中を、光を映し出すハーフミラーが取り巻き、工場跡の暗い工房に不思議な空間を作る。立ち寄った市民らはいすに座ったり、周囲を巡ったりしてメルヘンのような場を体験した。
各種イベントや建物の空間をデザインしている山崎さんは工房を「オリジン」と名付け、入り口に表札をつけた。大きな作品を中心とした制作活動の拠点として相模原から通う。年に1〜2回ほど工房を公開し、その時々の新作品を市民に見てもらうことにしている。
by ardest
| 2007-02-18 19:53
| orijin studio から