(c) 2016 Minori Yamazaki -Japanese Artist-


by ardest

「景観創造ということ」 

■思いの一滴 第二回 「景観創造ということ」     2002年1月3日

 昨年12月、桐生市景観審議会が開催され委員を委嘱されたので、近年訪ねた町の景観について少しまとめてみることにした。四国愛媛の「内子町」は江戸末期から明治に木蝋生産で栄えた民家や商家が保存や修景され、白壁、連格子のある町並みが700メートルも続く風景は圧巻で近年「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。「卯之町」は幕末、シーボルトゆかりの二宮敬作、高野長英やオランダおイネが住んだ町。漆喰の防火壁「うだつ」を上げた商家や民家、西日本初の学校「開明学校」などがきれいに保存修景され、先哲が闊歩した時代を彷彿とさせる。二つともとてもこぢんまりしているが、歴史がそこに凝縮し町全体が歴史博物館といっても過言ではない。

 昨年は岐阜の「白川郷」、「飛騨高山」、長野の「小布施町」を見てきた。「白川郷」の荻町地区合掌づくり民家群や「高山」の陣屋から上三之町を通り職人町の景観はあまりに有名。どれも町が十分にもっている歴史遺産の伝承と修景による景観づくりという創造がうまくかみ合っている。
 そんな中で「小布施」は葛飾北斎や一茶の句で有名だが、昭和四十年代まで、これといった特徴のないリンゴと栗菓子産業だけの、いわゆるなにもない町だったそうだ。人口12000人の小さな町が観光地として注目を集めだしたのは、ここ四半世紀の官民一体となった景観づくりが実を結んだからに他ならない。町財政の余剰金5億円を利用して新築された「北斎館」を皮切りに、本格的な動きとしてはわずか20年前から建築家宮本忠長氏をアドバイザーに官民の地権者同士で話し合うこと二年、続く工事三年で「群居の思想」といわれるフレキシブルな発想の街づくりの核を完成させ、そこから徐々に町全体に景観づくりへの参加意識が拡がってきたそうだ。

 栗菓子舗「小布施堂」界隈を中心に移築、改築、新築を玉突き的におこなった町並み修景事業が見事なまとまりを見せ、年間百万人の観光客を吸引する。
「高井鴻山記念館」「小布施堂本店」「蔵部」「栗の小道」いくつかの素敵なレストランなど見所多く近年、小布施は町づくりの成功例として大分の「湯布院」、島根の「津和野」と並び評価されている。これらのコンテンツがわずか100×160メートル内に凝縮し、費用も10億円ほどでおこなわれたと聞くと、効率的な修景事業の費用対効果のほどに感心せずにはいられない。

 小布施では「外はみんなのもの、内は自分のもの」というキャッチフレーズであくまでも民間主体の創意工夫によるノスタルジックでチャーミングな景観づくりで、「暮らしやすく面白い町」を創っていくことに努めているという。猥雑な広告看板やネオンを排し、電柱を地中化する事はもちろんだが、まず先に行政も含んだ個々の住人の「景観」という財産に対する意識変革こそ重要である。桐生の町並み再生や修景事業にとってこれほど参考になる事例はないのではないだろうか。     
アーティスト
 Minori Yamazaki's Internet Museum  ヤマザキミノリのインターネット美術館 Internet Museum of MINORI YAMAZAKI
by ardest | 2004-08-12 22:44 | comments